マダ(マドハーとも)
マダ(アラビア語: مدحاء,Madha,Madhah)はオマーンのムサンダム特別行政区に属する街であり四方をUAEに囲まれ、内部にUAEのシャルージャ首長国のナフワを含有する。
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・歴史と発生理由
かつてオマーンは現在のオマーンを表す言葉ではなく「休戦オマーン」(現UAE)と「マスカット=オマーン」(現オマーン・スルターン国)を表していた。「休戦オマーン」には多くの首長国が群雄割拠しており、1968年スエズ運河以東のアラブ地域から撤退を表明し、運営が難しくなったそれぞれの首長国の連邦結成の機運が高まり1971年にアブダビ・ドバイ・シャルージャ・アジュマーン・ウンム=アル=カイワイン・フジャイラ・ラアス=アル=ハイマの7つの首長国が連合を結成しアラブ首長国連邦を建国した。「マスカット=オマーン」には大きく分けて内陸に存在した「オマーン・イマーム国」海岸に面した「マスカット・スルターン国」がお互い対立していたもののイギリスの保護下で連合した。しかし1954年石油利権をめぐりオマーン内戦が勃発し1960年にイギリスを背後に「マスカット・スルターン国」側の勝利で終わると「オマーン・イマーム国」は消滅し、国連が「オマーンの独立は不可分である」と決議。1970年、前スルターンのカブースが当時スルターンで暴君だった父親のサイード=ビン=タイムールを宮廷クーデターを実行し追放、1971年にはイギリスより完全独立を果たした。1969年にはUAEの建国に伴う国境線を確定し、当時の部族の帰属意識により決められたのがこの国境線であり1940年代にマダの集落は水資源の関係から部族の長がUAEの首長国から融通してくれないと考えていたため「マスカット・スルターン国」に帰属、そのためここがオマーン領になったと考えられる。内部の二重飛び地のナフワはその後UAEとなる首長国に帰属することを主張したため、そこはUAE領になった。
・国境警備と生活・様子
国境警備はUAEとマダ・ナフワに限っては一切ない。ただしムサンダムとその他オマーンの国境線には高い鉄条網と厳格なイミグレーションが存在する。マダの市街地にはオマーンの国旗やスルターンの肖像画が飾られている。
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・参考文献
https://mindofahitchhiker.com/madha-and-nahwa-exclaves-oman-uae-traveling-through-the-donut-hole/
http://jepeterson.net/sitebuildercontent/sitebuilderfiles/Britain_and_Oman_War.pdf