クシロティンブー
四角い形をしているのがクシロティンブー
引用:https://web.archive.org/web/20181009144017/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/middleeast/dhekelia02.jpg
クシロティンブー(ギリシャ語:Ξυλοτύμβου 音訳:Xylotymbou)は、イギリスの主権基地領域デケリア内にあるキプロス共和国ラルカナ地域の飛び地である。
・発生理由について
発生原因は条約5476号の「キプロス共和国の建国に関する条約(ロンドン=チューリッヒ協定)」でアクロティリとデケリアが英軍基地を設置するためイギリスの主権が及ぶ領域として残された影響により、1960年に人工的に作られた飛び地である。1960年の独立に向けて、キプロスではギリシャ系住民とトルコ系住民の対立が日増しに激化していき、分離独立をした上でギリシャとトルコに併合するという案も出た。トルコ系の住民はギリシャの支配を恐れており、イギリス帰属か分割によるトルコによる併合を望んでいた。1959年にはイギリス・ギリシャ・トルコによる合意により、主権と領土一体性を尊重し、2共同体による共和国が成立する方針となった。この三国によりキプロスの独立を保障するという形となり、イギリスは軍事基地となる領域を残しキプロス共和国の独立が認められた。これらの難しい政治的妥協によりデケリア領域内のオルミディーア・クシロティンブー、そしてデケリア発電所がキプロス領として残された。
・国境警備と生活、様子
キプロス共和国と両領域は条約に基づき国境警備やイミグレーションなどは行われてはいない(BREXITの影響は当領域に関する議定書が例外で定められていたためなかった。)。通貨はデケリアと同じくユーロを使う。住民は観光業とデケリアで仕事をし生計を立てている。人口は3500人くらいが住んでおり、ギリシャ系の住民が殆どを占めている。1974年にキプロスでギリシャ併合派がクーデターを起こし、トルコによるキプロス侵攻を招いた(エレンコイで詳しく解説予定)。トルコ軍はイギリスの主権領域には進軍しなかったため、その時逃げてきたギリシャ系住民を匿った町でもある。かつて様々な国の捕虜も受け入れてきた歴史もあり、難民受け入れの村として自称している。
・参考文献
http://www.uniset.ca/microstates2/cy_paper_31335.pdf
https://www.xylotymbou.org.cy/